地球ごと電源が落ち液晶といふ液晶が鏡に変はる

結樹双葉「早稲田短歌43号」(2014)

 

 

「早稲田短歌43号」は歌と評論など合わせて150頁を越し、学生短歌会の雑誌としては分厚いものとなっている。その中から作品を何首か紹介したい。

 

結樹双葉の一首は「ひび割れ」という12首の連作より引いた。上の句の地球規模の現象が地震や、核爆発のようなものも連想させて恐いものがある。下句への展開はすこし順当でもあるが、あらゆる場面で使われる液晶画面の類が鏡と化してしまうところに不気味さや危機感が感じられる。

 

殺という字の書き始めのばつてんが怖いと言つたきみだけ信じる

 

結樹にはこのような一首もある。「殺」という漢字の書き始めにばってんのような部分がある。何もかも打ち消してしまう×の文字を怖がる君の純粋さのようなものを肯定している。

 

骨格の差異が答えとしてあれば答えあわせの抱擁である

回るものひとつずつ止め閉園は冷たい歯車を残すこと

 

小野みのりの「冷覚」より。一首目は相聞歌として読んだ。二人の骨格には差異がある。その差異の答えあわせをするには抱擁してみるのが一番いい。素材もおもしろく発想も斬新だ。二首目は遊園地の閉園の場面だろう。「歯車」にまで想像が飛んでいくところがいい。冷たさのなかに静かな寂しさがある。

 

にんじんも玉ねぎも煮る ゆるぎない土に舌から根を張るように

 

板垣志穂「回復とは」より。生きることの力強さが文体に表われている。上の句の料理をしている場面から「舌から根を張る」へと、思い切った表現である。にんじんも玉ねぎも土にしっかり植わっていたもの。作者は食べることによりそのような生命力をも手に入れる。

 

絶望のふかさを測れ胆汁のいろの夜空に傘つきさして

 

吉田隼人の「芙蓉の罠」より。諦念や淡い絶望感のようなものが連作全体に漂っている。この一首「胆汁のいろの」という表現がきいていて苦々しさや、痛々しい感覚を連れてくる。絶望しつつもそれに反発する強さが感じられる。吉田の「ひたすらに雪解かす肩 母よ 僕など産んでかなしくはないか」という一首も印象的だった。この一連のなかではやや近代的な作風といえるかもしれないが、こういう歌が混じって、作者の影が見えてくるところがいい。