死は意外に靜かなるものとその妻に言ひのこしたり醫として生きて

土屋テル子『槐の花』(1976)

 

土屋テル子は旧姓を塚越テル子といい、明治19年高崎生まれ。大正7年に土屋文明と結婚し、一男三女をもうける。テル子は文明と同郷で、早世した文明の初恋の少女の姉であったという。地元の名士の娘でキリスト教徒であり、結婚後は足利高女の英語教師をしていた。

 

『槐の花』の文明の後記によるとこの歌集は三人の娘が母の歌集を作りたいと言い出したところから始まったらしい。

 

冒頭の一首は昭和49年に亡くなった長男夏実のことを詠んだ歌。京都府の衛生部長に迎えられた夏実は病で51歳という若さで亡くなった。「死は意外に靜かなるもの」という言葉を夏実は妻に残して亡くなったというから、自分の死を冷静に見つめていたといえる。

夏実の死の8年後テル子は93歳で亡くなった。テル子の三人の娘は夏実を喪って哀しみの中にいる母を慰める積もりもあって歌集を出す計画をしたのかもしれない。

 

リスを伴ふ三日の旅に少女子はクルミとリンゴ忘れずに持つ

二組の孫たち来りその母に棹もたしめて胡桃を落す

リスを飼ふ安見のために干す胡桃寒さ来ぬ間に持ちて行くべし

 

土屋家の庭には色々な草木、野菜があり、温室なども建てていた。歌集のタイトルの槐も大木であったようだし、ここに詠まれた胡桃の木も棹で実を獲るくらいだから、大きな木だったのだろう。リスを飼っている少女は夏実の一人娘の安見である。孫達や孫の飼っているリスのためにも、文明夫妻は庭の胡桃の木が実をつけるのを楽しみにしていたのだろう。

 

夏実の死後、残された妻と安見はそのまま京都で暮らしたという。遠く離れ住む東京の青山の地でテル子はこう詠む

 

母と娘と残して逝きし心われは一日も忘るることなし