八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を

スサノオノミコト『古事記』(712年)

 

今更こんな古くさい、と思われるかもしれないが、私はこの歌が好きである。繰り返しが多く、単純明快、古代的な空気感があふれ、つぶやくと力をもらえるような気がする。

和歌(短歌)のはじめと言われてきた古代歌謡である。『古事記』にも『日本書紀』にもスサノオの八俣の大蛇退治の神話に語られている。

八俣の大蛇を退治したスサノオは、出雲の須賀の地に宮を建てる。そこでうたわれたのがこの歌である。結婚のために新築する家の新室寿(にいむろほ)ぎの歌。短歌的抒情以前の儀礼的な歌謡である。記紀の最初に登場する歌だが、これだけしっかりと五七五七七の定型に嵌っていることから歌謡としては新しいものと考えられている。この形式を短歌は引き継いでいる。

この短歌謡の構造について藤井貞和の解析がある(『古日本文学発生論』)。

 

八雲立つ 出雲八重垣」(a)

妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」(b)

 

「古代歌謡は、圧倒的な神話のリアリティのもとに、それにもたれきったところからやや身を起こすようにして新たにうたい出される」と藤井は、南島歌謡の分析をふまえてこの記紀歌謡を読み解く。

(a)  部が原古の神話の提示。原神話に使われた詞章と考えてもいい。そのオリジナル(a)

に対して、(b)はうたわれる現在、今でしょ、ということになる。つまりうたわれる現在

を提示して、それをオリジナルと合一させることが歌謡の眼目である。

「八重垣作る」という眼前の婚舎を「出雲八重垣」というオリジナルと同じ、そのものだと指示する。「神話そのものではなく、それを現在(いま)へ連続させるモチーフにおいて歌謡がうたわれ」たということだ。それは「背景にある圧倒的な神話を、とらえかえしたり眼前の行為を神話的原古と同一視しようとする、一種の呪術としてはたらく。」

この短歌謡の構成は、こうした呪術性を孕んだものである。それを原初の和歌として奉じてきた歴史を、短歌という詩型が持っていることに自覚的でありたい。短歌に、なにがしかの働きがあるとすれば、それはこうした呪術性に淵源する力を視野に入れて考える必要があろう。

出雲は、出雲大社が昨年六十年に一度の遷宮の年であった。出雲の神話的世界を反映したこの歌、ぜひ音読、声に出して読んでほしい。すこしでも古代的な空気にふれることができるかもしれない。