高野公彦『汽水の光』(1976年)
浜木綿はよく海ぞいに生えている。
もわもわした白い花を咲かせる。晩夏に咲くが、9月の終りの今ごろはもう咲き終わるころだろうか。
葉も百合のようなかたちで、夏を惜しむようにざわざわ海風にゆれているイメイジがある。
あるいはこの歌のように、浜木綿を「はまゆふ」と旧かなに書くと、なんとも儚い風のような名だなともおもう。
そんな「はまゆふ」が「そよがぬ闇」があるという。
どんな闇だろう。
ふかい緊張感を感じさせる。音もきこえない、空気さえうごかない。そう感じる。
「汝」とのふたりの時間はとてもしずかで、幻想的だ。
すこしおさない年下の女性を抱いた。こわれないよう大切に。
腕のなかにいる「汝」の息づきを感じていると、自分が「盗人のごと」くおもえる。
こんなふうに「汗ばみ」慄きながら、ひとを抱く少年もまた、「汝」とおなじく純潔な存在として存在する。