魚村 晋太郎


時間がない ように咲きいる曼珠沙華母の庭には母しかおらず

なみの亜子『鳴』(2006年)

曼珠沙華は、秋彼岸のころに咲く彼岸花の別名。
茎の先に、細長く反り返った花被と上向きに湾曲した長い蕊を持つ花が数個、散形花序につく。
日本に見られるの大部分が三倍体で、結実せず地中の鱗茎で殖える。
鱗茎は寸断されたときの再生能力が高く、田の畦などに多く咲くのはそのせいもあるが、毒草であるため、もともとは田を荒らす虫や小動物が忌避するように植えられたらしい。

花茎は葉をつけず、花が枯れてから葉を出し、その葉は春になると枯れるので、春から秋にかけては地上に何もない、不思議な植物である。
死人花、捨子花、天涯花、など別名や方言が多いことも知られている。

きのうまで何もなかった場所に、地の底から噴出すようにいっせいに咲く真っ赤な花。
そのさまを見て主人公は、時間がない、とまるで残された時を惜しんで咲いているように感じた。
そして、一人暮らしの母の余生に思いをよせる。

曼珠沙華は、母の庭に咲いているのか。
車窓の曼珠沙華を見ながら母のことを思っているのか。
いづれにしても、ふだん離れて暮らしていることは確かなようだ。
父に先立たれた母の余生をかなしんでいるだけでない。
その限られた時間のなかで、母と自分の関係を修復しなければならない、というような焦りが、曼珠沙華をみつめる主人公のまなざしから感じられる。
母との関係をなおざりにしてきたという悔悟の思いと、でもかんたんに打ち解けることはできないというわだかまり。
炎のような曼珠沙華の赤は、そんな焦燥をひときわつのらせて主人公の目に映る。