魚村 晋太郎


人恋うてつつましすぎる若さなど杳(とほ)く眠らせ秋の水くむ

今野寿美『若夏記』(1993年)

川の水、池の水、器のなかの水。
秋になると、水はひんやりと澄みわたる。
水道の水でさえ、そんな気がするのは、水の温度だけでなく、秋の大気や秋空のひかりを一緒に感じるせいだろう。
手に掬うとき、とくにその印象はふかくなる。

つつましい、という言葉の似合う若い女性を最近はあまりみかけない。
慎しい、は、慎(つつし)む、慎(つつ)むと語源が同じで、自分の身やこころを包んでひきしめるという意味から来ている。
きれいな言葉だと思う。

茶庭の蹲踞(つくばい)か、厨の水か。
澄んだ水に手をふれたとき、主人公のこころに遠い日の恋の記憶がよみがえる。
薄絹で幾重にもつつんだような恋心。
つつましすぎてなかなか伝えられなかったその想いを、主人公はそののち伝えることができたのだろうか。

生きてゆくために、ひとはだんだんとつよさを身につける。
あのころのいじらしい若さは、どこか遠いところにおいてきたような気がする。
そんなふうに振り返る主人公のこころは、しかし若い日にもまして、秋の水のような澄明さをたたえているにちがいない。