一ノ関忠人


母の言葉風が運びて来るに似て桐の葉ひとつひとつを翻す

岸上大作『意志表示』(角川文庫1972年)

*翻に「かえ」のルビ。

 

岸上大作を知る人も少なくなっているのだろうか。もし、そうであれば残念なことだ。岸上は、1960(昭和35)年12月5日未明、下宿の部屋にプロバリン150錠を服し、さらにロープを使って縊死。「ぼくのためのノート」200字詰め原稿用紙54枚を死の寸前まで書き続けた。最後は「デタラメダ!」で終わる。時代は安保反対闘争の敗退後であり、「恋と革命にやぶれた」学生歌人の死と大きな衝撃を与えた。

1939(昭和14)年、兵庫県福崎町に生れ、7歳の時父が戦病死、以後母の手一つで育てられた岸上は、人一倍の母親思いであることが、その残された短歌作品からも分かる。短歌には高校時代から熱心であり、「まひる野」に入会。1958(昭和33)年、國學院大學文学部入学、同校短歌研究会に入会。以後、いっそう短歌に熱中している。

 

走り書きは母へのたより絵はがきでカタカナまじりはわれへのたより

悲しきは百姓の子よ蒸し芋をうましうましと言いて食う吾れ

ツルゲーネフの「初恋」読みつつ餅焼けり遠くかすかに夜汽車の響

ひっそりと暗きほかげで夜なべする母の日も母は常のごとくに

かがまりてこんろに青き火をおこす母と二人の夢作るため

 

高校時代の短歌である。すでにたしかな創作力を身に着けていることがわかる。一首目は戦地から送られてきた父のハガキ。生活の貧しさに母を思いやる歌に岸上の心情があふれる。これ以外に特徴的なのは、砂川闘争へのシンパシー、社会主義運動家大山郁夫の死を悼み、朝鮮人集落や差別など社会の矛盾への疑問のまなざしが、この頃からあらわれていることである。

そして国学院へ入学してからの反安保の活動、短歌にかかわる交友やひとりよがりの恋などもあって、作品世界も広がり、深まる。

 

意志表示せまり声なきこえを背にただ掌の中にマッチするのみ

装甲車踏みつけて越す足裏の清しき論理に息つめている

戦いて父が逝きたる日の祈りジグザグにあるを激しくさせる

血と汗にワイシャツ濡れている無援ひとりへの愛うつくしくする

縊られて咽頭せまき明日ながらしめやかに夜をわたり歌わく

 

岸上の短い人生のなかでも、その後半に属する歌である。安保闘争の敗北がこのように歌い留められている。「ジグザグ」は、デモの隊形。血と汗もデモの結果である。五首目は、岸上の死の月に刊行された「短歌」に掲載された「十月の理由」の最後にある作品であるが、縊死を暗示しているようで印象に残る歌だ。

今日揚げた一首は、大学に入って貧しいながらも未来への期待があり、生活に落ち着きを持っていた時期の作品の中にある。

 

やわらかく柿の新芽の濡るる音ひとりの部屋に心満つるもの

鋭角なすビルこえて燕とびゆけり母への手紙今宵は書かん

はじめてを働きて得し札なれば睡りはやがてあたたかく来ん

日本の女の足袋のもつ白さ無垢なるゆえに忍従の色

 

希望が、ここには明るく穏やかに表出されている。このような明るさの中に「風の表情」のこの一首も歌われた。初夏の新緑の桐の葉、その大きな葉の一枚一枚が風にひるがえる。母の言葉を風が運んでくる、その証のように。

しかし、その希望も「美しき誤算のひとつわれのみが昂ぶりて逢い重ねしことも」あたりから、恋と政治の挫折へ、やがて自死へと繋がってゆく。時代の持つ暗さを一身に引き受けての自裁のようにみえるところもあって岸上大作の印象が定まってゆくのだが、私は、あらためてこの文庫版岸上大作歌集を読んで、彼の短い人生ながら、吉田松陰が人の人生には短くても長くても必ず四時(四季)があると言った、その春に当る頃の作品に、岸上が本来持っていたやさしさや希望があらわれたものと心温かくなる気持であった。今日のこの歌はそのような中にある。

岸上、もし生きていれば今年75歳という勘定になる。決して過去の人ではない。私たちの同時代人なのだ。短い人生だっただけに決して作品は多くないけれども、是非ぜひ読んでほしい歌人の一人である。