真剣に聞くとき自分をぼくという君の背筋のあたたかい月

山内頌子『うさぎの鼻のようで抱きたい』(2006年)

中秋の名月はほんとうにきれいだった。
やわらかい光を放つ大きな月は、鼓動してこちらに語りかけてくるような気がする。
きちんと向かいあわないと「こっちを向いてくれよ」と声をかけてきそうな存在感だった。
観月の習慣が古くからある理由もそんなところからきているのでは、などとおもったりもした。月の声、きいてみたいなあ。

「君の背筋のあたたかい月」。
この「月」は「背筋」の字のなかの「月」でもあり、背中の筋肉のかたちでもあり、あるいはこいびとの背中に「月」を感じたものであるともよめる。
いつもは自らを〈俺〉などというこいびと。けれど、真面目に何かを尋ねてくるときは「ぼく」という。その些細な癖に気づく嬉しさ。こいびとを注意深くやさしく見つめているわたしは、「ぼく」というときのそのひとがたまらなく愛おしい。

そんな愛しさの表現として、「背筋のあたたかい月」をつかみとった。
抱き合ったときに背中に触れてそう感じたのだろうか。
この体感がいい。とくに「あたたかい」がいい。だって秋の澄んだ満月の放つ光はほんとうにあたたかだったもの。

あたたかく輝く月がこいびと。
いつまでも抱いていたい。

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