伊藤純『びいどろ空間』(2015年)
歌には、自分にとって大切な出来事、心に留まったことを記録する役割がある。東日本大震災の年に詠まれた、この一首は、一枚の報道写真にも匹敵する記録性があると思う。
作者自身は被災していない。しかし、被災しなかったことに対する何とも形容し難い罪の意識は、多くの人が味わったものである。「ようやくに」という一語に、作者が息を詰めるようにして、テレビを見ていたことがわかる。震災後、かなり長い間、公益社団法人「ACジャパン」の広告しか流れず、私も重苦しい気持ちだった。
一首からは、やっと深呼吸したような作者の心持ちが感じられる。「ミネラルウォーターのCM」というのは、恐らく事実だろう。それが結句の「流る」とうまくマッチして、水流の美しいイメージと躍動感が生じている。また、水は人が生きてゆくのに必要不可欠なものであり、どこか切実な感じも一首に漂う。
「百日」という数字の力は、この先ずっと保たれるだろう。あの震災がどれほど大きなものだったか、その直後に人々がどれほど消沈し、被災地を見守っていたか、この一首は伝えている。「ようやくに」被災地が元の賑わいや街並みを取り戻すのは、一体いつのことだろう。そんなことも思わされる歌である。