さいかち 真


思惟像のあてどなき掌のかなしみよ春を含みて雨流れたり

山中智恵子 合同歌集『空の鳥』(昭和二七年)

 中宮寺の半跏思惟像がすぐに思い浮かぶ。想念の中で、あの像が春の雨に濡れている、それも慈悲の「かなしみ」に濡れているという感受のしかたは、あってよいと思う。むろん上句と下句を切り離して、思惟像は思惟像、春の雨は春の雨、というように両者を別々の情景としてイメージすることもできるけれども、一連は、異性である自分の思い人との心の交わりがついに不可能であることの悲しみを表現したものであり、この歌は、その一連の末尾の方に位置している。だから、ここでの「かなしみ」には古語の「愛し」の意味に重ねて、現実の作者の「悲しみ・哀しみ」も投影されているととらえた方がいいだろう。思惟像の上にふりそそぐ光と春雨の雫が、歌の調べのなかでひとつになって、像の発する光輝に包まれる作者の祈りの姿勢のようなものがイメージできる。

掲出歌は、「日本歌人」の若手十五人による合同歌集所収の「夕虹」と題された七十一首の中から引いた。前川佐美雄の後記によると、参加者の大部分が二十代である。この歌集には、清新な相聞歌が多く収められており、その点は同時期の「未来歌集」と共通するところがあるだろう。山中の一連も相聞歌を柱としていて、なかなか情熱的な歌がある。この本には、ほかにも知られた名前が幾人も見える。ついでだから書き写してみよう。森たかみち、鳴上善治、轟太一、木暮耿之介、佐藤釧(※右、「忄」)子、難波禮二、鍵岡正礒、北嶋ゆり、田垣晴子、岩間史子、山中智恵子、遠藤正英、近藤久子、加藤英之助、京田千代子。

続く三首もいい歌なので引いてみたい。

眠りあさく春雷きけばはたはたと心象の外に翔るものあり

夕べさやかに虹たちしことのかなしくて衿かたくあはせ眠らむとする

雪にしたゝる虹の藍色夢にみればあしたしづかに対はむと思ふ