木製の銃でデコイの水鳥を撃ち抜いた、って感じがしたね

中澤 系『中澤系歌集 uta0001.txt』(2015年)

 掲出歌とここ数年の政治の流れを重ねて読んでみたい気が、いまの私にはしている。

中澤系の歌集の新刻版が出た。書家である妹の瓈光さんと、「未来」短歌会の本多真弓さんが中心になって復刊プロジェクトを立ち上げ、十年ぶりに新版として刊行されたものである。今回はしかも、社会学者の宮台真司氏による、自身の体験を重ね合わせた痛切な文章が寄せられている。「読み始めると、記憶の怒濤が引き金を引かれ、しばし時間感覚を失う変性意識状態に陥った。」のだという。それだけ中澤系の言葉は、濃厚に世紀をまたがる数年間に失われた何か、損なわれた何かの意味を問い、全身でそれを表現しようとしていたのだ。彼は、あの短い充実した集中的な作歌の期間に、時代を呼吸し、時代と渡り合っていたのだ。それが宮台氏の中の作品と感応する敏感な部分を刺激したのだろうと思う。

幾人もの論者が書いているように、中澤系の歌は、その後に続く時代の時間を先に言い当ててしまっているようなところがある。そして、自らの死も予告してしまっているところがあるのは、これも多くの論者が言うところである。本集には歌人の斉藤斎藤さんによる後続世代からの献辞もある。

 

3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって

 

この歌を有名にし、この歌の価値を最大限に認めたのは、穂村弘氏であった。今日これだけの中澤系ファンがいるのは、穂村氏が寄せてくれた栞のあの文章のおかげであると言っても言い過ぎではない。そうして刊行に際しての加藤治郎氏のタイトルについての助言も大きかった。本人の案による「糖衣」だけでは、歌集はここまでの吸引力を発揮できなかったかもしれない。タイトルというのは、それだけ重要なものなのだ。中澤系が亡くなったあと、私が彼について書いて「未来」に載せた文章を、お母様が同級生に配って読んでもらったということがあった。その時に、彼らが異口同音に口にしたことは、やっぱりそうだったんだ、中澤君は、ぼくらの言うに言われぬ思いを代弁してくれていたんだ、ということだったそうである。私は彼らより少し年長で、中澤さんの世代の青春の思いというものが、実は本当にわかっていたわけではない。あくまでも類推として、当時の私自身の固有の苦しさに、かろうじて中澤さんの苦しさを重ね合わせて読むことができていたのだろうと思う。同じことを、作品集を読むことを通して宮台真司氏が、追体験してしまった、そのような衝迫力がある、ということを宮台氏が語ってくれたことは、中澤さんの作品にとって良いことであったと思う。私は宮台氏が、時代と寝る経験を終えた後、何年も南の島で伏せっていたということを知らなかった。宮台氏なりに自己の言論の責任をとっていたのだということを知らなかった。そういうことを知る機会を与えてくれたのも、今回のこの本のおかげである。まして1970年生まれの中澤さんと同世代の人たちにとっては、この本の喚起力は絶大なものがあるのにちがいない。幸いに今度の本は新宿紀伊国屋書店で大量に入荷してくれているとのことである。

今回の本の内容について、私ははじめからなるたけ関与せず、プロジェクトを立ち上げた本多真弓さんたちにすべてを任せていた。それは、本が持つ運命とはそういうものではないかと思っていたからである。最初の編者として、この場をかりて皆さんの熱意に敬意を表しておきたい。