逢わねども存在としてわが沼のごとき五十年充たして呉れぬ

今西久穂 『冬の光』(昭和59年)

 この歌は、中野重治への挽歌の一連にある。作者は一九二八年生れ。九七年六月九日没。中野は七九年に亡くなっているから、この歌の「五十年」というのは、作者の多感な青年時代以来ずっと、ということだろう。今日椅子に坐ったら、たまたま正面にこの歌集が置いてあった。私は未整理なまま紐でしばってくくってあった本を時々倉庫から取り出して来たりするので、こういう事が起こる。命日も近いし、俺の事も書けよ、と故人が言っているみたいで、自然に手に取ってめくった。

私の持っている今西久穂の歌集は、もとは同じ「未来」同人の金井秋彦の所持していたものだったから、金井の癖で本の随所に折り込みがつけてある。これは、愛書家は絶対にしないことだが、本を自分の資産として利用する姿勢を持っている人には、結構ありがちなことで、丸亀の中野重治の記念館に保管されていた中野蔵書「レーニン全集」には、壮絶な線引きと、書き込みと、折り込みがあったのを今思い出した。もっとも私は、図書館で借りた本のページを平気で折るような人を深く軽蔑するものであるが。

それで、金井さんがおもしろいと思った(であろう)歌を引いてみることにする。

 

色彩の冷ややかなベリーニと蔑し記す一冊ドルチェの絵画問答

まんさくの花明るめる神代の林に肩を洗われて出づ

衰えしあざらしのごと眼を閉じる父見おろせば涙はいづる

鱏のごとく床を泳ぎてとどまらぬ新聞紙あり夜の地下鉄に

 

「神代」に「じんだい」、「鱏」に「えい」と振り仮名がある。どれも読みやすい、よくわかる歌である。比喩はだいたい直喩までで、岡井隆の身近にいたのだが、作風は保守的である。中野重治を愛しつつ、会社では中間管理職として組合との団体交渉に臨むという立場から、作者の歌はしばしば屈折し、苦渋に満ちたものとなった。「肩を洗われて出づ」というのは、俗塵にまみれて生きる己をさびしむ言葉だ。