松村 由利子


英霊の生きてかへるがありといふ子の骨壺よ振れば音する

       柳原白蓮『地平線』(1956年)

 

二〇一四年のテレビドラマ「花子とアン」で、歌人としての白蓮への関心が高まり、第一歌集『踏繪』の復刻版が版を重ねているが、この歌が収められているのは彼女の最後の歌集である。

白蓮は筑豊の炭鉱王、伊藤伝右衛門との豪奢な暮らしを捨て、若き社会活動家、宮崎龍介と駆け落ちした。そして生まれたのが、この一首に詠われている息子、香織である。学徒出陣し、敗戦日のわずか四日前に二十三歳で戦死した。

骨壺はふつう、振らないものだ。収められた骨が動いて音がしたりしないよう、そっと持つものと決まっている。しかし、この歌では、その死を信じることのできない母親が、子の名を呼びながら骨壺を揺するような迫力と哀切さがある。

揺すり方をどう想像するかで一首の趣は変わる。「英霊になったと思われていた人が帰還することもあるというけれど、骨壺を振ってみると何か音がするじゃないの。これは何の音なの?え、骨じゃあないでしょうね」と、何か憑かれたように揺すっている様子か、どこか魂が抜けてしまったように力なく骨壺を揺すりながら耳をそっと傾けている様子か――。

骨壺の中身は、本人の遺骨とは限らない。遺品だったり、戦死した地の石だったりもした。骨壺を振って聞こえる「音」は、戦死の事実を伝えてはいないのだ。どれほど多くの人たちがこうした悲嘆を味わったことかと改めて思う。