三井ゆき 『天蓋天涯』(2007年)
大切な人を失って、そこからなかなか動きだせない。そんな時に、歌がひとを蘇生させるということは、確かにある。作者の夫の高瀬一誌は、2001年5月に亡くなった。私は作者と同じような境遇にある人を幾人も知っている。
短歌を作っていると、外に出てものを見なければならない。ただぼんやりと見るのではなくて、こころを開いて観るのである。すると、千変万化する四季の諸相、空や雲、海や山、陽の光と月かげ、目に入る無心な動植物の姿、ありとあるものが、忘れようのない私の心の喪失感を癒し、安らぎを与え、私がここに存在して息をついていることは、決して無意味ではないのだと示してくれていることがわかる。
生き物たちは、懸命に生きており、しかも美しい。その姿を見ることには、意味がある。それを受け止める私の感性というもののかけがえのなさ、生きている一分一秒のありがたさが、痛切に思われるのである。むろん、ひとが蘇生するのには時間がかかる。また、処分すべき物や事案もたくさんあって、ただ悲しんでいるだけではすまされない。そうした俗事も含んだうえでの歌というものが、ある。
過去のみに生きてゆけると思ひゐるわれにもいくらかはづむ日のあり
逆光のひかりをまとひゑのころは永遠の浄土を夢みるごとし
美しいものに心をやるということが、私をほんの少しだけ前向きにしてくれる。その時に歌のことばとしらべは、不思議なぐらい作者のこころに作用して来るのだ。「思ひゐる」の「ゐ」とか、「ゑのころ」の「ゑ」という日本語の旧仮名表記が持っているあたたかさと、やさしさ。没入し、甘えたくなってしまいたくなるようなことばの響きのありがたさ。
火となりて走りしものは裾野とふやさしき形をもてしづまれり
あかときのかなかなのこゑ澄み徹り藍よりあさぎに移りゆくそら
「裾野」が、「火となりて走りしもの」の「やさしき形」であるという詩的な認識のおおらかで、のびやかな言い方に、王朝和歌以来の見立ての技法が、現代的に刷新されている姿を見て取るとともに、短歌を媒介として事物に向き合うことによって生まれる救いの所在をあらためて思わせられる。「あさぎ色の空」は、むろん生への促しの形象化されたものである。