江戸 雪


秋空は高かりき青かりき広かりき昔昔のさらなる昔

青木昭子『申し申し』(2008年)

生きていて、〈今〉の自分ほどわかりにくいものはない。
それに対して、未来や過去の自分は、外から自分を眺めることができるぶんわかりやすい。
未来は漠然とした輝きのなかにあり、あわい希望などを語ることもできる。
過去も後になって振り返れば笑って話せる、なんていうこともよくいわれることだ。

しかし現在、〈今〉このときは、自分が時間の渦のなかに入り込んでおり、すべてが混濁して見えて右往左往してしまう。

これこそが自分にとって大事なものだと抱え込んでいたものは、じつはまったく見当ちがいかもしれない。
眼のまえにはすべきことやしたいことが山積みで、なにをどこから始めればいいかわからない。
あるいは、なにをすべきか、やりたいことは何か、ほしいものが何なのかさえみつけられない。
こんな気持ちで洞穴に入りこんでしまったようにおもえることがだれにでもあるのではないだろうか。

〈今〉は一度きりで、やりなおすことはできない。だから、失敗しないように、最良の結果をもとめる。
そんな〈今〉の繰り返しにも疲れてしまう。

空はこころを映し出す鏡。
疲れたこころでながめる秋の空はなんとなく憂鬱だ。ほんとうは澄んできれいなはずのに。〈今〉を生きることのしんどさにおしつぶされそうになっている自分にはその美しさを感受できない。
ずっとずっと昔の自分が見上げていた秋空の美しさを懐かしくおもう。あの昔の秋空は、まさに昔の自分のこころそのものだった。
そんな感慨が「高かりき青かりき広かりき」という「き」のリフレインにふかく刻まれている。