たけだけしき酢葉に種子の実りたりアメリカ種らしきがただにうとましく

小見山輝『寄物六百歌』(1999年)

酢葉はスイバ、別名スカンポ。欧米ではソレルと呼ばれハーブに用いられる。
50センチから1メートルになるタデ科ギシギシ属の多年草で、茎葉に酸味があることからこの名がある。
昔は子供がよく若芽をかじってあそんだという。
北原白秋には「すかんぽ」という詩があり、木下杢太郎の「むかしの仲間」にもでてきて、どちらの詩にも山田耕作が曲をつけた。
4月から7月、ちいさな紅い花を円錐花序につける。
俳句で草の実というと秋の季語だが、酢葉は花のあとすぐ、三枚の翼のある種子をびっしりとつける。

子供のころ、戦争はすごく昔のできごとだと思っていた。
ひとつには、人生がまだ途方もなくながいものに思われたころのことで、父母が子供の頃体験した戦争と敗戦が、遠い昔の出来事のように思われたのだろう。
自分が生まれたのは、敗戦後20年目、東京オリンピックの翌年だった。
いまの自分にとって20年なんてあっという間の歳月である。
敗戦のとき父母は小中学生。まさに敗戦後の日本を生き抜いてきた青春だったはずだ。
そのころのことをもっと聞いておけばよかった、と思うのは最近になってからのことだ。

酢葉は、道端でよくみかける草のなかでも、丈が高く葉も大きい。
帰化種のヒメスイバは酢葉よりちいさいので、ここでアメリカ種といっているのは、近縁のアレチギシギシのことかも知れないし、同じ酢葉でもアメリカ産の帰化種がはいってきているのかも知れない。
いづれにしても、たけだけしく実をつけた酢葉を見て、主人公はそれがアメリカ種であることをうとましく意識する。
それは消し去ることのできないアメリカへの憎しみであり、アメリカに寄り添い、アメリカの文化にどっぷりとつかった戦後日本への苦苦しさである。

父母に敗戦のころのことを聞けなかったのは、たいへんな時代のことで、きっと話したくないこともあるだろう、という遠慮もあった。
父母と同世代のひとに対してもおなじような遠慮がある。
一首に苦くにじんでいるような、敗戦という体験をのりこえて生きた、たましいの声に耳をかたむけるのである。

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