さいかち 真


かへりみてあやまちなしと誰が言はむ人と物との歪みしげき世に

山本雄一(『うたびとⅠ 森山晴美集2』2015年刊 所引)

 この歌には、昭和十四年一月という日付がある。森山晴美の著書によると、掲出歌をふくむ一連は、はじめ『新万葉集』に発表され、のちに歌集『歴程』(昭和四十四年刊)に収められたものである。森山晴美の文章は、山本雄一に師事した人でなくては書けない、戦争の時代の短歌作品への深い理解に基づいたものである。

評論集『うたびと』ⅠとⅡは、戦中戦後の短歌の世界の全貌を俯瞰するに足る大きな達成である。また、いわゆる通好みの歌人の名前がほぼ網羅されている点でも特筆に値するだろう。著者はえり好みすることなく、現代短歌の諸相を描き出すことに成功しているのである。ぶ厚い四百六十ページのⅠ巻だけをみても、実に五十八人の歌人についての論考が収録されている。

「山本雄一は底辺の生活に生きる者の清浄を信じ、その連帯に身を置いて発想することで終始一貫した歌人であった。」と森山は言う。さらにそのあまりにも倫理的な発想が、作風を狭めてしまったのではないかという批評を付け加えることも忘れていない。引用された筏井嘉一の山本雄一についての文章は、同時代の知友らしい励ましに満ちている。

「氏の作品はどこといって特徴があるわけでもなく、さして巧妙だとも思えぬのであるが、素直に心いっぱいに歌われているため、どの歌にも胸を打たれるのである。(略)その人間的なあたたかさに、ぐいぐいひきずりこまれてしまうのである。」

(昭和十三年十月)

筏井の文章に引かれている歌を孫引きして、本文をおわりとしたい。病気療養のなかで貧苦にあえぎながら、しずかに己を顧みる山本雄一の歌は、骨格のたしかな叙法を持っており、それは短歌の土台をなすものなのだ。

 

妻の稼ぎに慣るるおのれを寂しめや粥鍋いつぱいに朝の陽のさす

言にいでて理解さるべき貧しさにあらねば我と身を低くしつ

必ず癒えねばならじとの願ひ日に強し汗だくに働く妻が眼に見ゆ

おのれ一箇の命もつぱらにありし時おほくの同胞は戦ひ死にたり