小雪に凍みた茶褐色の風景があり、うしろ影をみせて行くわが子を見た

前田夕暮(妙子追憶)(「はな」第176号:角宮悦子「鑑賞前田夕暮の短歌(25)」所引)

わが子を失った悲しみを清純に質朴にうたっており、言葉の余白から寂々とした心境がうかがわれる。この歌の前に引かれているのは、次の歌である。

 

春が来た、生きの日の寂しさに徹して、明るく青天の杯をあげる

 

この歌は、「徹して」に「てっ・して」と振り仮名がある。今年感心した文章のひとつに「うた新聞」9月号の山田航による「小野茂樹の時代-「幼形成熟」としての口語」という一文があるが、そこでは「前田夕暮の孫弟子にあたる」小野茂樹について、北原白秋の実践の系譜にある「純粋な子どもの言葉」としての口語精神が歌に生きているために、小野茂樹の歌は瑞々しいのだと書かれていた。山田航の言葉に沿って言うならば、前田夕暮の言葉が持っている無垢な感じ、いたいたしいぐらいに純粋でまっすぐな印象は、そのような「口語精神」から来ているのである。

今回は、手元に積んであった本の名前を書きだして見ているうちに、掲出の歌をみつけたのだった。夕暮の娘妙子について、角宮の文章には、「昭和六年から昭和十一年までの妙子さんについて、結核、療養、その死にいたるまでを書きましたが、平行して夕暮も体を痛めていました。」とある。親から受け継いだ資産が多少あったからと言って、一家に病人が二人いる生活は決して楽ではなかっただろう、と角宮は書く。前田家の青樫草舎に出入りしていた筆者の言葉である。

 

以下は、この朝の私の抜き書き。メモをそのまま起こして加筆したので、ちょっと長いです。手元の何冊かの歌誌より。

〇「無人島」第13号

敗戦の焼けあと ゆらめく夕蛍 どこへ消えたか戦後の蛍  淺川肇

合唱のように湧き出た夕蛍貧しかったが平和であった  同

・この原稿を書いている途中で、ご本人とたまたま電話で話をした。すると、「このあいだ野坂昭如が亡くなったけれども、敗戦後の夜というのは、みんなあんな感じだったのかな、と思いましたよ」とおっしゃっていた。

 

〇「はな」第176号

帰りそびれし座敷わらしのかくれんぼ 紙風船をついている音  角宮悦子

どぶに棲むねずみも出でてあどけなく月を仰ぎてゐむか今夜は  同

・これも「純粋な子どもの言葉」を心のうちに持っているから作れる歌なのだ。いい月の晩に、どぶに棲むねずみを引き合いに出すなんておもしろいではないか。

車窓行くビルの半身夕映えの朱きネクタイ結べるらしき  星河安友子

・ストレッチャーに乗って自動車で運ばれている時の歌だと思う。ただ横になっていはしない。こんな素敵な歌を作ってしまう。同じ施設の老人たちは口をきかないという歌も一連にはある。

ロシア人と手まね足まね馬橇にて遣りとりしつつ氷(ひ)を採りに出る  佐藤俊三「シベリアの記憶」

氷とかし水をつくりて風呂沸かす疲労困憊の身を温めんと  同

・編者の注記によると、作者は九十三歳だというが、具体的でしっかりとした歌はゆるぎない。

潮風と光を浴びる蔓菜(ハマンスナ)萼は黄色に花のよそほひ

大竹蓉子「南(パイ)ぬ島(シマ)」

南(パイ)ぬ島(シマ)砂に根を張り花は咲く、た遠みおもふ無頼なりしを  同

 

〇「黒豹」№95

兵庫県立美術館より髭さんの好意で届く『堀文子』画集  伊吹純

感性の慣れるをさけてつらぬきし「一所不住」は造語とぞいう  同

「変りゆく日々の驚き」を原点とする絵はいつもあたらしくして  同

沈みいるわれのこころを刺激する発止(はっし)としたる色と描線  同

・この一連をどこかで取り上げようと思っているうちに年末になってしまったので、ここに引いた。

 

〇「みぎわ」9月号

幾十度(いくそたび)脚立に登り下りをして老いゆく吾か剪定をする 荻原忠敬

山々の麓突き抜けまっすぐに新線リニアのドーム伸びゆく  同。

・「新線リニアのドーム伸びゆく」という。こんな風景が、いまの日本にはあるのだと知った。

 

〇「未来」1956年12月号

屋根の上の少年の手に鳩帰り頰寄せいしがやがて下りゆく  古明地実

叩く電鍵が壁に硬く響き迷いこんだこうもりが飛びまわる  同

美しき星のこと兵士は語りくれきその国も遂に蜂起したりき  広津量巳

たたなずく雲あり満ちし月あれば空の深さに溺れて歩む  米田律子

返り咲くさくらの花のさらさらと吹かるる音す盲いてあれば  伊藤保

僕に問う眼差し迅い耳一つ暗い胸壁にぶらさがりたり  我妻泰

・この頃の「未来」の号の広津量巳は、のちに九州の歌壇で知られた久津晃。我妻泰は、最近物故した田井安曇の以前の名前である。どちらも取り上げようと思ううちに一年が過ぎてしまった。

あらためて思うことだが、言いたいことがあって作っている歌には手ごたえがある。確固とした現実感のようなものがある。おしまいに引いた我妻泰のエッチングの絵のような心象詠にしても、「僕に問う 眼差し/迅い 耳一つ 暗い胸壁にぶらさがりたり」という、この二句目の句またがりには、作者自身の現実の挫折感や屈託が織り込まれているだろう。