佐藤 弓生


ヨハン・セバスチャン・バッハの小川暮れゆきて水の響きの高まるころだ

岡井 隆『暮れてゆくバッハ』

(2015年、書肆侃侃房)

 

 

ふたりの詩人による『対論Ⅱ この詩集を読め2012-2015』(細見和之・山田兼士、澪標)が刊行されました。語られる15冊のうち唯一の歌集『暮れてゆくバッハ』については、歌人の山下泉さんも参加しています。

詩人が現代短歌史を辿るうえで岡井さんの軌跡を指標としているのが興味深く、戦後、短歌というジャンル自体への批判に岡井さんたちが応えようとした経緯について山田さんが

「桑原武夫の第二芸術論と小野十三郎の短歌的抒情の否定を同列に捉えたところに当時の大きな誤解もあったわけですが」

と述べたのち、『暮れてゆくバッハ』のテーマを「生活詠」「対話詩」「批評性」として歌の考察に入ってゆきます。

谷川俊太郎さんとの共通点、あるいは対照的な態度といった話題もおもしろいところ。

細見さんの指摘、

「知識があるけど、その知識で書かないんだよね、歌を」

というのは、知識が血肉化していて歌から浮き上がらないということかと考えました。

掲出歌は、バッハがドイツ語で小川の意と言われることを踏まえていますが、「~バッハの」まではいわば序詞で、主眼は小川が暮れるにつれ水嵩が増えるという、自身の身体の老いと詩心の高まりの拮抗、その喩にあるのではないでしょうか。

にしても、私も学生時代はバッハ演奏に夢中でしたので、フーガの声部がしだいに重なり滔々とした流れに変わる感覚は何度も体験しました。

それが老いの感覚と結びつくとは、よもや思わなかったわけですが。