はつ霜のとけて光れる畑土のへだたれば永久にやさしき父よ

佐佐木幸綱『逆旅』(1999年)

霜は、空気中の水蒸気が昇華してできる針状の結晶。
寒い時期、快晴で無風の夜に多く発生する。
初霜は、北海道では10月の上旬、京都では11月の下旬ころ見られることが多い。
地球温暖化の影響や、ヒートアイランド現象で、東京では2月まで初霜が見られない年もあるそうだ。

立ち枯れた道端の草にきらきらした霜が降りている様子はうつくしい。
しかし、霜に覆われた地面には、ごわついて頑なな印象もある。
初霜をおいて頑なな表情をみせていた畑土が、朝日にとかされてやわらかくぬれて光っている。
まるでそんなふうに、厳しかった父の印象も、死をへだてて遠く思うとき、永遠のやさしさを湛えているように感じられる。
序詞風の上句には、そんな比喩もこめられているが、あんまり理詰めに読んでは一首の魅力は半減してしまう。

霜が、別れ霜、つまり春の霜であれば、一首はもっと平板な追懐の歌になっていただろう。
初霜は、これから本格的な寒さに向かう時期。
そこには、父の死後、いまは父となって壮年に向かう自身の境涯もかさねられている。
春の種まきから秋の収穫まで、作物をはぐくんでいま裸になった冬の畑土には、死んだ父への思いと同時に、自身がいつか迎える老年や死への意識もかさねられていよう。

短歌の喩とは、こんなふうに重層的で、だから味わいぶかい。
そして、重層的といっても、それは油絵の具を塗り重ねるように、練り上げられるものではない。
一首にあっても、下句の父への思いが上句の情景を組み立てたのではなく、上句に描かれた情景が主人公の胸にねむる父への思いを直感的に呼び覚ましたのだろう。
  全裸(まはだか)が走れる峠、美しく生きよとばかり父は教えき
同じ歌集にある一首。
全裸とは、冬の峠の裸木の印象か、寒風のことか。
この歌によみがえる父の教えと面影も、凜凜とした峠の景色から、呼び起こされたものにほかならない。

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