江戸 雪


恋人と怪獣映画見て冬の街へここでは何も起きない

荻原裕幸『青年霊歌』(1988年)

映画のなかの空間は、いまの自分の現実とは関係のない空間。
そこに数時間いると、映画によっては、なかなか現実にもどれないときがある。
そのちょっとしたトリップ感覚がいい。
美しい映画を観たあとは空の雲も美しいし、哀しい映画のあとは地下への階段さえ哀しい陰影を持ってみえる。

大切な存在である「恋人」とその感覚を共有できるのも幸せのひとつなのだろうか。
ことにその映画が「怪獣映画」だと、映画を観終わったとき、ともに冒険をしてきた同志のようにおもえる。あるいはビルのむこうから怪獣がほんとうに出てきそうな錯覚をおこしたりして、楽しい。

そんな「怪獣映画」という軽いタッチと下の句との落差は効果的だ。
「冬の街」は寒くて、どんより暗い雪空が広がっている。
信号は赤から青に変わる。あたりまえのように人々は行き交う。もちろんだれも「怪獣」などにおびえてはいない。
それでもまだ現実味のある「怪獣」社会。目のまえの現実への、波のようにうち寄せてくる違和感。それらを、三句目と四句目の「見て冬の」「街へここでは」という<句またがり>で表現している。

そして結句の「何も起きない」ということにあらためて気づく。小さな揺れがいい。
なにもかわらない、びっくりするような出来事はそうそう起こらない現実。そのほんのりあたたかい手ざわりのある現実を、受け容れてゆくのだ。恋人とふたり。