江戸 雪


雲などが流らふるよと見て居るに全身をかけて子に頼らるる

斎藤史『魚歌』(1940年)

死ぬまでの短い時間。いかに自分の生を燃やすか。
ひとの動向が気になるときもあるけれど、とにかく、焦らず正直な眼で自分を見つめる。自分の立っている場所を確認する。
そうすると、そのときそのときの自分の生きようが必ず見つかる。

たとえば、子どもを産み、その子を育てることは大変な労力を要する。
なりふり構わず幼い子とひたすら密接に関わっているとき、世間からとり残されているような錯覚に陥り、じたばた騒いでしまうこともある。
しかし、まわりからとり残されているのではなく、子どもとの豊かな時間がかくじつに流れていることにやがて母は気づく。
それも自分の生を生きていることだ、と母は実感するのだ。

「流らふ」は、流れつづける、ということ。
「雲など」の「など」、「見て居るに」の「に」などと合わせてこの「流らふ」を読むとき、長い時間、ひろい場所、子とのふかい関係をおもう。
下の句の「全身をかけて」とは、「全身をかけて」頼ってくる子どもを母が「全身をかけて」受容しているということだ。
「全身をかけて」というと、切羽詰まったようにきこえるかもしれないが、この歌のなかではゆったりとした母の底なしの包容をおもわせる。