澤村斉美『galley』(2013年、青磁社)
ああ、確かにそうなのだと思う。我々は日常生活で何気なく「コンセントを抜く」と言ってしまうが、コンセントは壁などに固定されているのもであって、抜くことは出来ない。抜くのは、そこに差し込んであるプラグの方なのだ。そう言えば、こんな歌もあった。「ひとみを閉ぢてと唄う歌手をり努力してもわたしはひとみを閉ぢられません」(山本かね子)。これも閉じるのはまぶたであって、ひとみではない。皮肉たっぷりの歌である。
そんなことを思うと、我々は日常なんといい加減な言葉遣いをしているのだろうか。頭の中では”抜くのはコンセントではなく、プラグ”、”閉じるのはひとみではなく、まぶた”という認識はあるのだが、会話では何故か「コンセントを抜く」、「まぶたを閉じる」とつい言ってしまい、それで相手に通じてしまうから、なんとも恐ろしい。
歌会でも時々このような、日常では何気なく使うが、よく考えてみると間違っている言葉遣いの作品を見ることがある。自分でも使ってしまいそうになるが、そのような時、私は英語に直訳してみて、外国人に意味が正しく伝わるだろうかということを考える。
間違った使い方でも、それで相手に伝わるからいいではないかという考え方もあるだろうが、我々は言葉に携わる者として、日本語の秩序を自ら壊していくことに加担したくない。
掲出歌の作者は新聞社の校閲記者として働いているのだが、マスコミュニケーションの分野では特に言葉の正確な使い方が求められる。その習慣が社内掲示でも出てくるのだ。几帳面であり、かつ日本語を大切にする作者なのだと思う。その気持ちが掲出歌の直截な表現となってしまった。
ゑのころにみつしりと秋溜まりゐて通勤者にも光をこぼす
人を刺したカッターナイフを略しとき「カッター」か「ナイフ」か迷ふ
テーブルに置き手紙増ゆ味噌汁のこと客のこと電池なきこと