それなりに背負うべきものもあるからか用紙がくぼむまで印を捺す

生沼義朗『関係について』(2012年、北冬舎)

 「それなりに背負うべきもの」とは何だろうか、考えられることは、一つには、作者の家族であろう。職務に専念しなければ職を失う。そこまでいかなくても一般社員であれば昇進が遅れる。経営者であれば業績が振るわない。そうなると収入が途絶えたり、増えなかったりして、家族が困窮してしまう。自分は家長であり、家族を扶養する義務がある。そうであれば、なにはともあれ力んで仕事をするしかない。

 「それなりに背負うべきももの」はもう一つ考えられる。それは職場又は組織における作者の責任である。上記の「家族」がそのまま「組織」に置き換われる。部長であれば、自分の部の業績が振るわなければ、部員のボーナスに影響する。経営者であれば、会社全体を背負っている。自分や自分の家族のみならず、社員全員とその家族の生活を背負っているのだ。

 「それなりに背負うべきもの」は一番か二番か。或いはそのようか区別をする必要はなく、その両方かも知れない。自分の家族、自分の組織、もろもろのものを含めて作者は「それなりに背負」っているのであろう。

 下句が強い印象を与える。何かの決裁書類であろう。作者が起草者とも取れるが、どちらかと言えば作者は決裁者のように思える。自分の決裁が自分、自分の家族、部下、部下の家族、全てに影響を与えるのだ。そう考えると決裁印を捺す手にも自ずと力が入るのだ。

    草原を飛んでいく声 唐突に思うことありハイジの老後

    学問の自由。職業選択の自由、破産の自由、自殺の自由

    ドラマにて追いつめられし犯人はおおかた水辺に自白をなせり