坂井修一『アメリカ』
(2006年、角川書店)
「ノーベル賞」は秋の季語――というジョークがあるとおり、ことしも各部門の受賞者が発表されつつあるこのごろです。オリンピックのメダルと同じく、日本人が獲った・逃した、の文脈第一でなされる報道への批判もまた、さもありなん。
日本出身の研究者のなかには、ノーベル賞受賞時にアメリカ国籍を取得済みの人もいて、それだと日本人に数えられないだろうというつっこみも、しばしば見かけます。
法律上の問題は措くとして、研究者はだれでもその人にとってベストの環境で働きたいわけですから、アメリカのほうが好条件ならそこで専念するという判断をつねにもっているはず。
ですので科学者によって詠まれたこの歌にはきわめて実際的な背景があるのだろうと、学問に無縁であっても推しはかることができます。下の句は、自分が若かったころ恩師から言われたことを、いま、自分も若い人に言うのだという意味でしょう。
「日本を捨てていい」と。
むろん国というのはたやすく捨てられるものではなく、東京大学に籍を置いている作者であれば、なにか苦い思いもあるのかもしれません。しかし私情をこえて、国籍にこだわるより学問に身をささげることを優先せよと呼びかける同志愛を、まず感じます。
塚本邦雄が悲鳴のように〈日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも〉とうたってから半世紀が経つことを、ふと思いました。
学死ねばかならず国の死ぬならひ怒りてぞおもふ秋の陽の下