クロアゲハ横切る木の下闇の道 許せなくてもよいのだ、きつと

西橋美保『うはの空』

(2016年、六花書林)

 

よい歌の多い歌集ですが、重い内容をはらむので、なかなか一首を選べずにいました。とはいえ書名にあらわれているように作者は本来、夢見がちな文学少女だったようです。

 

ちちのひにちちにかきたるちちのゑをちちよろこばず小鳥なく空

本を読む女はつめたい月のやう 夜をめざめてあなたを見てゐる

 

隣り合って配されたこんな2首を見るだけで、自分が絵を描いてもそれを喜ばない父という存在への失望、自分が本を読む女(つまり、ものを考え意思をもつ女)であることへの罪悪感が伝わり苦しくなるとともに、〈ちち〉の繰り返しが小鳥のさえずりへ意識をいざなうという技巧に感嘆もします。

 

グラマンに追ひかけられしまなこもてひと追ひつめしひとらと思ふ

吊るされていまだ死者ゐるかたちなる服の胸倉あたりをつかむ

 

義父に罵られ、殴られた経験が他の歌で述べられていますが、上の歌では、かつてグラマン戦闘機に追われた兵士たちの世代が敗戦後、女性の自由を阻害するという暴力の連鎖についての考察が見られます。

亡くなって間もない義父の服をハンガーからはずそうとした自分の動作にふと、胸倉をつかむという野蛮な行為を重ねてしまうのは、呪わしいことです。

容易には醒めない悪夢の日々にあって、あるとき木陰を、喪の色のアゲハチョウが横切って行きました。ふしぎと不吉さはなく、むしろその軽やかさが作者の心を解き放ったのでしょう。

人を愛せないこと、許せないことへの罪悪感から。