宮英子『やがての秋』(2007年)
情念が、さらりと詠われている。
手紙などを反古にするとき、庭で焼いたりできたらいいが、住宅事情などのため破いて棄てるしかない場合がある。紙を「裂く」という行為は、そんな日常的な行為でありながら、どこか鬱屈とした感情を感じさせる。
この歌では破いた紙が、「うち重なれば」とある。
どうもダイレクトメイルなどを破いたようではなさそう。
なにか、その紙を「裂き」、反古にしたいという思いを感じる。
いっぽうで、初句から三句目までの上の句では、どす黒い情念の塊となった「昨夜のわたくし」とは距離をおいて、「まぎれなく」「其処に在り」などと毅然とした視線を向けているのがおもしろい。
この上の句のおかげで、情念の欠片となった裂かれた紙は、おどろおどろしいものではなく、咲きおわった花のいさぎよい散りざまのような気さえしてくる。
怒っても、取り乱しても、次の日にはこうして自分で後始末をする。
余裕があるひとは魅力的だ。