木下こう『体温と雨』(2014年、砂子屋書房)
昼寝から覚めた時はどうしてあんなに淋しいのだろうか。人が働いている時間に自分は眠っていたという後ろめたさからなのだろうか。自分はこの世をしばらく留守にしたという欠落感なのだろうか。とにかく、昼寝から覚めた時はたまらない淋しさを感じる。
この作者もそうなのあろうか。「淋しい」とは言っていないが、作品には淋しさが漂っている。窓の外が明るいのだ。朝の健康的な明るさではない。昼間のどことなく倦怠感のある明るさなのだ。覚めていきなりその倦怠感に満ちた明るさに襲われるのだ。外が明るければ明るいほど淋しさは増す。
まだ完全に覚めやらぬ視線を窓の外に向けていると、時々、鳥影が過る。作者は、それを空が鳥を零していると表現した。美しい表現である。空が意志をもって鳥を零しているのだ。それも一回だけではない。時折なのだ。作者の淋しい心に空がメッセージを送っているように思える。そんな時、作者の心には淋しさと同時に少しばかりの甘美さもあるのかも知れない。
歌集の中には「窓」の歌が多い。作者にとって「窓」は何か特別なものであろうようだ。知り尽くした安全な内と、何が待ち受けているかわからない危険に満ちた外を繋ぐものが「窓」なのだろうか。
工場の磨硝子の窓ゆるゆると閉ぢる人ありそののちの雨
うす暗い翡翠の色の窓をあけ小雨だよつてあなたに告げる
ねぢれたる季節の風は窓にきて骨の色した卵を生めり