長谷部和子『月下に透ける』
(2016年、砂子屋書房)
落ち着こうとするときの反応は人それぞれにせよ、猫と暮らしている人ならだれでもけっこう生々しく共感する一首ではないでしょうか。
猫の個性もまたそれぞれです。ふだんは動きがにぶくめったに甘えてこないのに、あることで決断を迷っていると寄ってきて自分の手に触れたので、ゴーサインを出されたと思いました、という知人の話を聞いたことがあります。
初句のわずかな字余りが、いつもよりやや深い呼吸に通じます。抱いているのですから物理的に〈遠くなつたり近くなつたり〉はしないはずですが、猫の身体を通じて自分の鼓動が意識されては遠のく、という状態を言っているようです。
第三句にぽんと置かれた〈猫の体〉ということばつきの肉体感から小動物の体温が伝わるとともに、歌全体からは作者の身体感覚が伝わってきます。
ちょっとした動作を描くことで心の揺れをあらわす歌として、
朝顔の種袋に耳寄せて振る師も聞きをらむかそけきその音
も、印象に残りました。師とは他の記述からすると河野裕子さんのことのようですが、それを知らなくても、さりげなく茶目っ気のあるしぐさに作者が魅かれていることがわかります。
正露丸のやうなにほひが漂いくるまだ暮れきらぬ町のどこからか
種の音、正露丸のにおい。歌集に多くうたわれるノスタルジックな事物は、概念ではなく五感でとらえられています。
もういない師、母、猫のことも。
猫が掻くトイレの砂の音響く深夜ふたつの部屋を隔てて