藤村 学『ぐい飲みの罅』
(2016年、六花書林)
若干しかつめらしい表情の一首ですが、〈自死の思惟〉ということばの響きにふくまれた遊びにならえば、感傷を観照する歌とでも呼べそうです。
自死した人にちらっと触れた歌もほかにありますが、深追いはされません。ただ、人間が死を思ってしまうことを心の迷いととらえ、飼われている鳥獣にそんな迷いがないことを心が澄んだ状態であるとする考えが、〈眼あかるし〉という表現からうかがわれます。
たましいの堕落などなき犬を連れ野牡丹の咲く庭にたたずむ
この歌にも同様の感慨が感じられますが、犬と野牡丹にはちがいがあるようです。犬はその飼い主と同じく魂を持つ生きものながら、人間とは異なり堕落を知らない。そんな二者が、魂を持たないかのような花のかたわらにある。
犬・人・花の布置がうつくしい歌です。
老いわれが氷雨を避けしコンビニで日頃目にせぬヌード誌めくる
知り人の相聞歌から引火して老いら四人の舌回りだす
堕落というほど大げさではなくとも、人間には煩悩があることをユーモラスに述べています。ふだんはわざわざ買おうと思わないヌード写真も、雨が止むのを待つ手持ちぶさたな時間にはつい見てしまう。
2首めの〈引火〉には笑ってしまいました。歌会に出る人なら知っている、あるある、という状況でしょう。評される側からすると迷惑なこともありますが。〈相聞歌から引火〉も、ちょっとした脚韻になっています。
モノや情景の切り取り方が印象的な一冊でした。