二千年          前、に生まれた嬰児の(さう!)血の色のリボン、を、結ぶ

石井辰彦『蛇の舌』(2007年)
*ルビ:生(うま)れた 嬰児(みどりご)の

歴史は不思議だ。
子供のころ、イエスの生きた時代って、もの凄く昔のことのように思っていた。
でも、思えば、ピュタゴラスは前500年代、アルキメデスは前200年代のひと。
イエスは、現在の数学や物理の教科書にのこる研究をした、こうした学者たちよりも後の時代を生きたひとなのだ。
それが今に至るまで、多くの奇蹟とともに語られるのをあらためて考えると、つくづく、歴史は言葉、世界は言葉、でできているのだ、と思う。

一首は、「クリスマス          ツリーを飾りつけながら」という連作から。
連作のタイトルと10首が矩形に配置されていて、初句と二句の間に矩形の空白がある。
例えば、失われたビル、のような、何かの不在を思わせるヴィジュアル・ポエムでもあるので、一首だけを引用するのには、いささかのためらいもあった。
引用にあたって便宜上10字分ほどあけたが、一首一首の文字間隔が微妙に違うので、空白は文字数に置きかえられない。

クリスマスの飾りといえば、赤と緑。
緑は、樅の木やセイヨウヒイラギの葉が常緑であることから永遠を、赤はイエスが十字架の上で流した血を象徴するともいわれる。
一首は、嬰児(みどりご)の血、というところにその二色が配されていて、二千年前に生まれた嬰児、とはイエスのことだ、とはじめは思ふ。
しかし、イエスは、嬰児のまま殺されたわけではない。
  五月來る硝子のかなた森閑と嬰児みなころされたるみどり   塚本邦雄
一首には、おそらく塚本のこの歌と同様、嬰児虐殺と呼ばれる新約聖書のエピソードが詠われている。
恐怖政治によってユダヤ人を支配したヘロデ大王が、ベツレヘムにユダヤ人の王となる救世主が生まれたことを知り、その成長を恐れて、ベツレヘムとその周辺の2歳以下の男児を残らず殺害したというエピソードである。

2001年の同時多発テロ、そして2004年にロシアのベスランで300人以上の死者を出した学校占拠事件など、テロリズムと戦乱に覆われた世界への言及が歌集には鏤められている。
歴史が言葉、であろうとも、そのなかで血を流すのは生身のにんげんである。
クリスマスの華やかな飾りをまえに、いまこのとき世界中で流されているにんげんの血を主人公は思わずにいられないのだ。

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