江戸 雪


愛恋のはざまむなしも雪崩つつけぶるがままに幾夜ありけむ

小中英之『翼鏡』(1981年)

読んだとき、意味よりもまず歌の姿の流麗さに立ちどまった。
「愛恋」から「雪崩」、そして「幾夜」という言葉が鎖のようになって、激しさと苦しさが混じりあうような空間を立ちあがらせている。
そしてこれらの三つの言葉のあいだには「はざまむなしも」「けぶるがままに」「ありけむ」とある。
生きるうえで、そして発語するうえで、貫かれている美意識をおもう。

また、歌ぜんたいにかすかな疲労感がただよっている。
それは、愛や恋に対してか。それとも生きることそのものに疲弊しているのだろうか。
ままならない自分の存在に溜息をついているようにも感じる。
おそらく人間と人間の摩擦、そして自分自身との摩擦に疲れているのだろう。

「雪崩」。白い闇だ。身を小さくしてやり過ごすしかない。
そんなときは、どんな言葉も、どんな場所も空しく身体を通り過ぎるだけ。

けっきょく、愛されることを望むより、何も考えず誰かを愛せばいいのだとおもう。
愛に疲れたときでさえ、そんな自分を救えるのはやはり愛なのだから。
そしてなにより、誰かを愛することはそんなに大変なことじゃない。