光森裕樹


五月の樹をゆるがせて風来たるのち芯までわれを濡らす雨あれ

横山未来子『花の線画』(青磁社:2007年)


 

◆ 月と空 (5月)

 

みどりが茂りゆく五月の樹木をざわざわと風がそよがせる。そののち、身を芯まで濡らしてくれる雨が降ってくることを希求する、自然に溶け込んでいくような一首だ。
 

森や林にいるのだろうか。樹木が風に揺れる動きと雨という縦方向の動き、そして身体に雨が染み込んでいくゆっくりとした動き。ベクトルの異なる動きが、細やかに歌に織り込まれている。風の音、雨の音、雨が身にしみてゆく音についても同じことが言えるだろう。
 

「濡らす雨あれ」と願う心がどのようなものかは、はっきりとは描かれていない。慈雨を待つ樹木との強い一体化を望む気持ちがあるのだろう。
 

一つ前の歌がこちらである。
 

燕よぎり燕のかたち失せし空うつくしければ悲しと思ふ

 

この歌との並びで考えると、燕たちが飛び去ってしまった空に感じる「悲し」という気持ちを洗い流すかのように雨を乞うように思えるし、むしろ、その気持ちをよりくきやかにするために雨を感じようとしているのかもしれない。
 

その月ごとに、その月でなければならない空模様がある。
 

五月を起点に、四月、三月…と遡りつつ、歌を見ていきたい。
 
 

(☞次回、5月5日(金)「月と空 (4月)」へと続く)