原田彩加『黄色いボート』(2016・書肆侃侃房)
誰でも感じているに違いない、折々のちょっとした心の動きは、当たり前なことだからわざわざ言葉にしない。しないうちに大方は忘れてしまう。それを掬い上げて言葉にしてみせると、今度はどことなくワザトラシイ感じがするものだ。解かりやすく自然に言葉にするのは、案外に難しい。『黄色のボート』の歌は、「ちょっとした感じを」とても自然に掬い上げている。言われてみるとそんな感じがするなあ、というような感覚にあちらこちらで出合う。読みながら気分を預けやすい。
引用歌は、電話中に用事ができたのか(鍋の湯が沸いたとか)、電話の相手から心が離れたのか(押し売り電話かもしれない)、事情は説明されないが、まだ相手は話し続けているのである。「鎖のように」とイメージ化された声は何とも無機的だ。
比喩も面白いが、わたしは上句に注目した。作者にとってはそれが自然なのだろうが、従来はこういうとき、「われ」を中心に、「耳から電話をはなす」と描いたと思うのだ。そうでなく「耳を電話から離す」。そのために「われ」が、情景に埋め込まれて感じられたのである。
終電のドアに凭れて見ていればこのまま夜明けになりそうな空
帰ったら上着も脱がずうつ伏せで浜辺に打ち上げられた設定
観覧車の天辺に来たゴンドラの白い支柱がまっすぐになる
「われ」が風景の一部になっているかのようだ。