いつか死ぬ点で気が合う二人なりバームクウヘン持って山へ行く

盛田志保子『木曜日』(BookPark:2003年)


(☜7月3(月)「生きると死ぬ (13)」より続く)

 

◆ 生きると死ぬ (14)

 

二人でバームクウヘンを持って山へと出かける。なんとも楽しいハイキングだ。しかし、そんな親しい相手とは「いつか死ぬ点」で気が合うと言う。一体どういうことだろう。
 

「いつか死ぬ」のは誰だってそうだ。その点で気が合うということは、つまりすべての事柄で対極的な二人ということになる。一方が甘いものが好きならば、もう一方は辛いものが好き。一方が派手な服装が好きならば、もう一方はシックな服装が好き。好みが違っても、いや、好みが違うからこそ一緒にて楽しいこともあるだろう。
 

それでは、「いつか死ぬ点で気が合う」とは、単に全く好みが違うということを捻って表現しただけなのかというと、おそらくはそうではない。ふたりは「いつか死ぬ」ということを、つまり、この人生が限られていることをきっと普段から意識しているということが示されている。
 

石川美南に次の一首があった。
 

片頬に楽器の影が落ちてゐてみんなみんないつか死ぬつて辛い  石川美南『裏島』

 

誰かが演奏するのを聞いているのであろう。楽しいはずの瞬間が、その楽しさゆえに人生の儚さを強く際立たせる。いまここで曲を奏でている人も聞いている人も、いつかは死ぬ。楽しそうなみんなの中で、自分だけがさみしい定めばかりに気を取られて、泣きそうになっている。
 

こういうとき、同じくいつか死ぬことを思う人がいれば、互いに無二の存在になるのではないだろうか。
 
人同士を結び繫げるのは、好みの相違以上に、死生観の相違なのかもしれない。
 
 

(☞次回、7月7(金)「生きると死ぬ (15)」へと続く)