伊藤左千夫『左千夫全集第一巻』(1977・岩波書店)
伊藤左千夫は生前に歌集を刊行しなかった。この引用は手元の全歌集からで、1906年(明治39)年の作。「歌のまどひありけるに、聲といふ題出づ、予は吾末なる幼女の上を詠みぬ、世の中に幼きものをいつくしむ許り樂しく尊とくおぼゆるはなし。」という長い詞書のある7首中の一首である。この頃の歌会では、題詠が行われていたのである。左千夫は子だくさん。家族への情愛を大事に歌っている。
この歌に続いて【朝宵にはぐゝむ稚児にしが聲を聞けばゆらぐは吾老ぬらし】の歌がある。左千夫は42歳、今は働き盛りの若手といわれる年齢だが、すでに「老」の自覚を歌っているのも興味ぶかい。
引用歌の「心にしみぬ」は常套的なフレーズでありながら、幼い娘の声を全身でうけとめているように感じさせ、情感をさそう。歌われているのは、吾子への情愛だけではなく、幼児特有の無垢なるものである。
牛飼が歌よむ時に世の中の
九十九里の磯のたいらはあめ地の四方の
近代短歌の黎明期、声調を尊んだ左千夫らしく、大らかな調べである。