今井恵子


麻痺の子の逝きて時経し向ひ家に人の笑ひのきこゆと妻は

田谷鋭『ミモザの季』(1988年・短歌新聞社)

 

1917(大正6)年生まれの作者は、北原白秋に心惹かれ作歌を始めた。「香蘭」「多磨」を経て、「コスモス」の創刊に参加した。作風は、白秋というより宮柊二の重さを感じさせる。視点を低くたもち、生活のなかに動く人間の心の機微を、重層的に膨らませてゆくのである。掲出の歌は、「石造の池」に、次のような歌に続いて配されている。

 

ことざまに常静かなるこの家に麻痺の子ありてけふ葬りとぞ

供養ゆゑさうを盛んになすべしと麻痺の子のその兄が言ひしと

 

家内の事情まで立ち入らない近所づきあいが続いた。葬儀があって初めて、「向ひ家」に「麻痺の子」がいたと知れたのである。地域共同体の障害者の処遇、家族がたもつ世間体、尾鰭のついた風聞など、さまざまな切り口を含んでいながら、作者は、事実を低い声で述べるだけである。良し悪しの概念では括り切れない生の奥深さが歌われている。濃淡のあるものの、このように、口を閉ざすしかない現実に生きている人がどれほどいることだろうか。胸中が想像される。

 

夫婦の会話に差し挟まれる近所の話題に、「笑ひ」があった。「笑ひ」声に推し測られる、「向ひ家」の家族が経て来た複雑な時間。口惜しさがあり、苦しさがあり、愛しさがあり、とても悲しいが、それこそが生の重さなのだろう。

 

入りきて健やけき蠅ひとつ飛ぶ暑の窓ひらきわが励む部屋

のび立ちてわが身丈越すたかんなの黒き斑をもつはだへに触れつ