しろじろとペンキ塗られし朝をゆきこの清潔さ不安なばかり

斎藤史『うたのゆくへ』(1953年・長谷川書房)

 

『うたのゆくへ』は1948年から1952年までに作成された作品を収録している。「後記」に「東京から疎開ぐらし満三年半ののち、村の林檎倉庫の部屋を(昭和)二十四年に出て長野市に棲むやうになりました」とある。山国の厳しい暮しの日々に、自己の内面を凝視する。

 

信州に限ったことではなかったが、戦時中のこのあたり、土塀や土蔵の白壁は、空襲の標的にならないように、ことごとく黒く塗りつぶされた。灯火管制のもと、光が外へ漏れないよう夜間は電球を黒い布で覆いながら息を潜めて暮らしたそうだ。黒く汚されたままの壁が、80年代くらいまではところどころに残っていたものだ。終戦体験のもっとも印象に残っていることを訊くと、部屋を灯す夜の明るさだと応える人が、わたしの周りに何人もいた。暗さに慣れてしまった目に、明るさはどんなものだったろうかと、ときどき想いめぐらす。

 

掲出の歌の「しろじろとペンキ塗られし」は、たぶん如上のような事実を下敷きにしたものと推測される。しかし、鑑賞は必ずしもそういう事実を踏まえなくてもよいと思う。汚れのない純白は、精神の緊張と不安を引き起こすものである。「ペンキ」が、それを表して効果的。人工的で平板。表情がない。

 

風雪に噛まれたる樹の白白と霧の中に在るは我をおびえしむ

白きうさぎ雪の山より出でて来て殺されたればを開き居り

風は己れの音を聴き雪己れの色を視るいづれ非情の顔つきのまま

 

「白」の清潔は、プラスの価値として捉えられることが多いが、怖れや不安や極限の緊張を引き起こすものでもある。