鷺のかげ湖岸の砂に淡かりき少し離れて二羽又一羽

大河原惇行『鷺の影』(2015年・不識書院)

 

「あとがき」に、『鷺の影』の歌の多くは「身辺詠」で、大きな出来事は、自身の病気と東日本大震災であるとある。その大きな出来事を縫うように、鷺の歌が配されている。忘れた頃に、という感じで歌われる。鷺は、孤独で寂しく、水に映る影を曳いてひっそりとたたずんでいる。引用の歌の「淡かりき」は、存在の淡さに通じていよう。生きる力の衰えを思わせる。たしかに、3.11以降、直接の被害者ではない人々も含めて、日本社会は、掛け声だけではどうにもならない崩壊感覚を味わったのだった。

 

作者は小暮政次を師として、作歌の理念を「アララギ」の「写生」にもとめ、1997年12月に「アララギ」が廃刊されたのち、「短歌21世紀」を興し主宰している。詠風は「アララギ」の系譜らしく簡素清潔である。「身辺詠」といえばそれにちがいないが、社会的事象と人間の生きる姿勢に強い関心を示し、単なる身辺の写実ではなく、しみじみとした境涯を感じさせる。

 

足黒くゆらぐ流れに影立てり鷺は一切いつさいにふれず孤独に

四階に母が居ること思ひつつまたわが眠る昼過ぎてより

雉鳩がいつまでも梢に止まりをり飯終へてよりわれは見てゐき

 

命の危うさや心情の揺れなど、言語化しえない諸々の気分を、一首の内部に引き寄せている。それが、巧みな語の斡旋によって表出されている点、注目してよい。正岡子規以来、「アララギ」によって培われてきた系譜が思われる。