でもそれでいいんだとてもみぞれ降る二月のことを聞かせてほしい

岐阜亮司「デート」(『北大短歌』第五号:2017年)


(☜8月28日(月)「学生短歌会の歌 (6)」より続く)

 

学生短歌会の歌 (7)

 

連作題が「デート」であることに立ち止まる。たしかに、作品内容は想いを寄せる人とのデート前後のことが書かれている。しかし、短歌の世界に限った話ではないかもしれないが、「デート」という言葉を直接見聞きすることもなかなかない。奇を衒った題ではなく、むしろストレートであるはずが、なんだか不思議なものを見せられた気分になるのはなぜだろう。
 

連作は次の一首にはじまる。
 

聖典のやうに手紙を開きをりあなたはあなたのことばかり書き

 

あなたからの手紙を恭しく開くが、その内容には、あなたのことばかり書かれている。「私」との共通の思い出や出来事がまだまだ少ない時期とも言えるが、おそらく相手は自分のことばかりに興味が集まりがちな性格なのかもしれない。それは「聖典」という、教義を広めるために書かれたものの対極にある。
 

続く歌が掲出歌であるので、「でもそれでいいんだ」という書き出しは、一首目の内容を引き受けるように読める。手紙には自分のことばかり書かれているけれど「でもそれでいいんだ」、と相手の性格を認める。認めつつやんわりと、「みぞれ」というあなたのことから少しずれた天候の話をして欲しいと水を向ける。
 

自己中心的でやや幼さを感じさせる相手を包容しようとする余裕は、連作「デート」全体に感じられる。
 

噓みたいにあなたをつよくしてやれる言葉をなにも知らなくてごめんな

 

最終歌を引いた。「つよしてやれる」「ごめんな」といった表現や言葉遣いにも、余裕を感じさせる。けれども作品を読んでいて嫌な気分にはならないのは、自分のことばかり書く相手の幼さと同じように、恋愛において自分自身が一段高い場所にいるような感覚もやはり幼いもののように感じられるからだろうか。
 

電車のなかを無言で帰つた 美術館のどの立像にも軸のかたむき

 

デートに行った帰りのことだろう。話すことがすっかりなくなり、なにか話さなきゃという思いさえすでに消えて、ただ無言で電車のなかに二人は揺られる。よくあることではあるが、自分のことばかりに意識が向きがちな相手と、一段高い場所にいるように振る舞う主体のことを思えば、必然的な沈黙であるようでどこか生々しい。
 

その日に二人で行ったのであろう美術館の像が、それぞれに傾いていたことが思い出されている。その軸の傾きは二人の性格や幼さの微妙な違いを暗示しているようだ。
 
 

(☞次回、9月1日(金)「学生短歌会の歌 (8)」へと続く)