光森裕樹


一九八四年九月六日蒲田女子高裏窓の少女たち

真中朋久『火光』(短歌研究社:2015年)


(☜6月2日(金)「検索窓と生きる (2)」より続く)

 

検索窓と生きる (3)

 

「九月のひかり」という五首から成る連作の一首である。前の二首を引いておきたい。
 

朝のうちに仕事ふたつを片づけて新幹線車中に眠るにもあらず
六郷土手下車してどの道をたどりしか九月の陽ざしにただに暑かりき

 

仕事のいくつかを終えて、新幹線で移動をしていたのだろう。まだ早い時間帯だからか、眠るともなく揺られながら外の景色を眺めていると、多摩川を越えた当たりで、かつて京急の「六郷土手」駅で下りたことがあることをふと思い出す。そのような様子が浮かぶ二首に、掲出歌が続く。
 

思い出したのは、およそ30年前のこと。「およそ30年前」と書いたが、記憶はかなりはっきりとしていて年月日まで覚えている。六郷土手で下りて九月の陽射しの中を歩き、蒲田女子高の裏手を通ったのだろう。窓から、授業中の女生徒たちが見えた。
 

六郷土手で降りた目的は何だったのか。蒲田女子高に用事があったのか、それともただ通りかかっただけなのか。
 

作者にとって、何か大きな出来事や意味があった日なのだろうか。あるいは、なぜか理由もなくはっきりと覚えているようなちょっとしたことなのか。
 

なぜ、その日のことをそんなにはっきりと覚えているのかは、読み手には分からない。けれども、不思議ともやもやとしたものは残らない。あまり多くを語らない真中朋久の作風もあるが、一首はひとそれぞれが何かを記憶する器という意味では近しいものでありつつ、その中身は異なり、決して他者と入れ替えることが出来ないものであることを伝えてくる。
 

内容がよどみなく伝わり、即時に共感され、そして、次の日には忘れられるような歌の対極にある一首だ。
 
 

…とは言え、一首の中に「一九八四年九月六日」という具体的な日付けがあり、「蒲田女子高」という場所が指定されていれば、検索せずにいられない。
 

実際、「短歌研究」2015年11月月号の小池光、田村元、梅内美華子による作品季評でも、この一首について言及されており。「一九八四年九月六日」で検索したが、特に何も見つからなかったということが記されている。私も散々調べた。
 

もはや私たちは、検索しないと生きていけない。以前は電子辞書が卓上にちょこっと置かれていた歌会の風景も変わり、分からないことがあれば、携帯電話などを用いてインターネットで調べる光景が多く見られるようになった。
 

電子辞書とネット検索に違いはあるのか。
――大いにある。
 

電子辞書には「一九八四年九月六日」という日付けも「蒲田女子高」という学校名も、おそらくは収録されていない。だから私たちは、それを調べようと思わない。けれども、ネット検索では、何かがひっかかる可能性がある。
 

「調べる」という方法が、時代のなかで大きく変化している。ならば、その行為を引き起こす「わからない」ということも大きく変化しているのではないか。
 

掲出歌をきっかけにそのようなことを考えた。
 
 

(〆「検索窓と生きる」おわり)