バスを待つ女生徒たちのその太き脚は、秋たけて葡萄踏む脚

松平修文『トゥオネラ』(2017年・ながらみ書房)

 

9月のはじめ、知人が退職後にはじめた葡萄園から電話がくるそのようになって久しい。今年は天候不順で、思うような出来映えではないが採りに来ないかという誘いである。この報せが来ると、わたしの気分はいっきに秋色を深める。

 

西洋絵画に描かれる葡萄は、秋の豊かな収穫の象徴としての意味をもっている。筋骨たくましいバッカスは葡萄の栽培法と葡萄酒の製法を世界に広めた酒の神である。掲出の歌の「葡萄」はそのような意味の上にあり、したがって「葡萄踏む」は、村人が収穫した大量の葡萄を素足で踏むという、古風なワイン造りの場面。大地の恵みである収穫を喜ぶとともに、労働の活力、生命の力強さが横溢する場面である。

 

バス停に並んでいる女生徒たちの脚は、若く力強く逞しくエロスをたたえていたのだろう。消え入るような楚々とした女ではない。地を踏みしめ新しい命を生む女として捉えられている。短歌に、このような女性像は珍しいのではないだろうかと思う。

 

街へ行きしや森へ行きしや 明け方に戻り跛犬びつこいぬ傾きつつ水を飲む

化粧は霧がしてくれるので夜明けがた勝手口から出て森へ行く

暗き森をさ迷ひゐしや、目覚めし老母ははは明りをつけてくれぬかと言ふ

 

『トゥオネラ』は、第1歌集『水村』で注目された作者の第5歌集である。「水」は作者の大切な主題であったが、「水」とともに大切なキーワードが「森」。犬も女も老母も、「森」と「街」を往来している。「葡萄」と同様に、象徴性が高いことはいうまでもない。