光森裕樹


最上階のラウンジからの東京を宝石箱と呼んでいた頃

田中章義『ペンキ塗りたて』(角川書店:1990年)


場所はホテルか。最上階にあるラウンジから眺める煌々と光る東京の街並みを「宝石箱」と呼んでいた頃を懐かしむ。青春歌集と呼ぶにふさわしい一冊のなかにおかれた歌であり、主体はまだ二十歳そこそこではないかと思われる。
 

随分と背伸びした場所に立ち、将来が開けてゆくことに何の疑いもない点に、すこしばかりの気恥ずかしさがあり、そして、もうその頃には戻れない今の自分が映し出される。
 

歌集刊行が1990年であり、バブル時代の崩壊という大きな時代の流れのなかでの東京や、東京に対する人々の意識の変化が刻銘に記録されている歌となっている。しかし、このような感じ方はすでに三十年近い時代が流れたから言えるものかもしれない。
 

田中章義『ペンキ塗りたて』(角川書店:1990年)「最上階」も「ラウンジ」も「宝石箱」も程遠い時代となった。のっぺりとした「東京」だけが残されている。
 

幾本の川を越ゆるや東京にひとり住む友へ書きし手紙は  目黒哲朗『CANNABIS』
東京を見よとぞ言ひし都市論を縁側に伏せて眠るともなし  真中朋久『雨裂』
東京をTOKIOと表記するときに残像のみの東京がある  生沼義朗『水は襤褸に』
トーキョーが俺の短歌をばかにする 春夜ゆゑなき憤りはや  大辻隆弘『水廊』

 

「東京」という場所は、歌人が産んだもっとも新しい歌枕のひとつのように思える。それほど、よく歌に登場し、ある種の情感を一首にもたらすものだが、引用した歌は、どれも東京から肉体的(あるいは精神的)に距離が置かれている。
 

東京はこの国の首都でありながら、誰もがたどり着けない場所だったのだ。