風鈴の垂れてしづけし戦争に移らん時の静けさに似て

鈴木幸輔『長風』(1954年・白玉書房)

 

毎日の新聞の見出しが危うくなってきた。70年あまり続いた日本の平和が終るのではないかという気配だ。といっても、戦争を知る世代が減ってゆくなかで、戦後生まれの人々が、戦争がどんな風に始まるのか、簡単にイメージできるものではないだろう。

 

この歌は、終戦直後に詠まれた。戦前戦中を経て来た目が光っている。戦争の始まりは、しいんとした無音の中に密かに進行するのだといっている。「風鈴の垂れてしづけし」は、ただ無音であると言うだけでなく、言論を封殺されて言論人がモノを言わなくなった「静けさ」を思わせる。穏やかな「静けさ」ではなく、抑圧されて不気味な「静けさ」である。肌感覚でそれを知っている言葉に重みがある。

 

賭をなす人等群れたる街をきて傷のごとくに池は暮れゐる

田の中に動きてやまず女らが神にひれふす如く苗植ゑる

座布団を立ちて綴糸につまづけりこころを覗くごとき瞬間たまゆら

 

幸輔の歌は、みずから「貧困に喘ぐ」というように、苦難に研がれた眼光が、作品に鑿を深く打ち込んでゆく印象をあたえる。きわやかな内実をもっており、言葉が重い。歌集刊行にあたり「友人の宮柊二氏、書店主の鎌田敬止氏、並びに玉城徹、都志見吉秋、上月昭雄氏等の御力をいただいた」(後記)とあり、白秋門下相互の影響関係を思わせる。たとえば【一ぽんの蝋の火に寄り妻子等と生きのびてきし如くに居りぬ】【夜半さめて寂しむものに吊るし置く塩鮭あればひとり見てゐる】など。当時の交流の濃さがしのばれる。