光森裕樹


こうやって母もぼんやり眺めてたやかんの湯気が激しく沸つを

前田康子『キンノエノコロ』(砂子屋書房:2002年)


連作「節忌」に収められた、第二子を身ごもった頃の歌である。子どもの世話をしつつ、お腹の中の子を気にかけながら日々が過ぎてゆく。
 

ああ我もヤクルトおばさんの年齢(とし)となり水鳥のそば腰かけている

 

気が付けば、自身が幼い頃に親しんだヤクルト販売員と変わらない年齢となっている。「ヤクルトおばさん」として、その存在自体がひとつの広告塔のようであったが、いざ同じような年齢になってみると「ヤクルトおばさん」にも日々の生活があった――というようなことを、水鳥を見ながら思ったりしたかもしれない。
 

「ヤクルトおばさん」の年齢に追いつくように、記憶のなかの母にも年齢は追いつく。掲出歌では、ぼんやりと沸き立つやかんを眺めている自分にふと気付き、そして、同じような光景を台所に立つ母に見たことを思い出す。
 

湯気のなかで、ぼんやり眺める私が母に重なり、そして母は湯気のなかでさらなる母に重なり、世代をどこまでも連綿と遡っていく。
 

薬箱の薬を見てると安心すそんな夜の眼母もしていた

 

母と自身とが重なる歌がもう一首あった。誕生したのは女の子であったが、歳月を経たさきに、何かの仕草をきっかけにとして母である〈私〉を思い出すこともあるのかもしれない。
 

雪の日のマントに抱けばあたたかくまっさらなこの子おみなご