蒼しずむ檜ひの山の肌黄葉もみじばは身をせめぐごと澄みて華やぐ

武川忠一『秋照』(1981年・不識書院)

 

山間地の紅葉が美しい季節になった。紅葉/黄葉の歌は多くあるが、たいていは美しさに着目して歌う。この歌は、四句に「身をせめぐごと」とあり、ただ美しいのではなく、迎える冬に向って身を削り余剰を落してゆく自然のさまが歌われている。華やぎの中に、生きているもの全てが負う存在の哀しさが見つめられている。もちろん黄葉を見ている作者も含まれる。

 

作者の代表歌として、第一歌集『氷湖』の【ゆずらざるわが狭量を吹きてゆく氷湖の風は雪巻き上げて】が必ず引かれる。どこかで自己を厳しく凝視する視線が特色である。引用歌は、「黄葉」という小題をもつ連作にあり、木曾馬籠をたずねたときの作だと詞書に説明するが、初期からの自己凝視の先に、この「身をせめぐ」はあるだろう。自然の中に、生の哀しさと美しさを見据える。

 

先の「ゆずらざる・・・」の「氷湖」は、故郷諏訪湖をさしているのだが、固有名詞で歌われてはいない。現実の諏訪湖ではなく、抽象化された作者の原郷としての湖なのである。20年以上経て、『秋照』では同じ主題が次のように歌われる。

 

許さざるかの声はする雪道の果てに凍らぬ夜の湖の音

雪明り残る日ぐれの薄氷に沁み透りいるあかりとおもう

冷えこごりやがて凍りしうみのこと思想のごとし冴え冴えとして

 

極度に抽象化されているが、厳しい自己凝視と透明感が生の核心にふれる。