秋明菊のひとつの花をめぐり飛び去りて行きたるしじみ蝶ひとつ

小池光『思川の岸辺』(2015年・角川文化振興財団)

 

「秋明菊」は菊とはいうがキンポウゲ科の花だという。菊と同じ季節に咲くのでそう呼ばれているのだろうか。植物名に季節が示され、下句の「しじみ蝶」が、おのずと推移する季節の中に置かれることになる。秋の澄んだ空気の中に、ふうっと現われ過ぎて行った蝶を眺めている一首。

 

歌は、秋明菊を歌うのでも、しじみ蝶を歌うのでもなく、何かを眺めているときの、気持ちの揺らぎを歌っているのだと思う。言うなれば、過ぎ去ってゆく時間の歌。「しじみ蝶」は小さくて地味な蝶である。多忙な日常であれば、そんなところに目を留めることはない。揺れ動く情感を胸に何かをひとりで眺めるとき、視線が捉える景色と無関係なことを考えているということはよくある。それを、あえて言語化しないことで歌が豊かに膨らみ、思いが動く。

 

蟬のこゑさへも途絶えてまひるあり黒日傘の人あゆむひそけさ

夕つ日は疎林の中にきりこみてその中にるひとりをてらす

眼前に落ちて来たりし青柿はひとたび撥ねてふたたび撥ねず

 

『思川の岸辺』は、言葉のうちに気配が動いている歌集だ。伴侶を失ったのちの日常の些事が、ことさら平易に歌われている。寂しいけれども、不思議なことに読後に悲壮感が残らない。人間の普遍的な寂しさに触れるからだろう。