光森裕樹


ベランダの手摺りに砂の残りいる会わぬと決めし人の掌のごと

梅内美華子『若月祭』(雁書館:1999年)


親しかった友人か、あるいは恋人であったか。誰かと会わないという決意に、強い意思と一抹の寂しさが感じられる。
 

ベランダの手摺りに残った砂が、その人が置いた掌のあとのように思えてくる。一度は、そのベランダに立ったことがある人なのかもしれない。もう会わない人の残像のように残る砂を、私はきれいに払ったのか、それともそのままにしておいたのか。その点は読み手の想像に任されている。
 

ふと君を思い出すとき象の背に乗りていること婚姻のごとし

 

同じ『若月祭』から、タイに旅行した時の歌を引いた。
 

「君」がどのような存在かは分からないが、すでに思い出の対象となっている人のようである。旅行先で、象の背中に乗る。ぐっと高くあがる視線とゆったりとした象の歩みは、王族の豪奢な結婚式のようだ。
 

「君」は一緒にいるわけではなく、「君」と結婚することはないのだろう。しかし一首には湿った感じはなく、それこそ象のようなおおらかさがある。
 

ひと泣きしてたっぷりとまた食べに来るきつねうどん あなたも食べていますか

 

同じく、もう会うこともない人を詠んだ一首である。
 

日々を生きる中で出会う辛いことに涙する。それはもしかすると「あなた」との思い出がもたらすものでもあるかもしれない。
 

散々泣いたあとに、「あなた」と食べたことがある「きつねうどん」をお腹いっぱい食べる。
 

もう会うことはないけれど、あなたにとってもきつねうどんが同じく思い出の一品であり、もしも今食べているのであれば、遠く離れていても――
 

今ここに、たしかに、一緒にいるのである。