ふと思ふ我を見守るあたたかき心に気附かず過ぎしことあらむ

安立スハル『この梅生ずべし』(1964年・白玉書房)

 

この作者は、ふつう日常では目を背けていたいと誰でもが思うような事実を、真向から見据えて、鋭角的に切り込む。「人間の悲惨さは、誰でも知っていることであり、それを自覚することからはじめるというのもあたらしいことではありませんが、やはりそこから出発するほかないのです」(あとがき)という意志が貫かれている。たとえば次のような歌。

 

階下したの老婆はわが姓も名も覚え難しと言ひていつよりか「お二階」と呼ぶ

押売りの閉めてくれざりし戸を閉めに出できて平手打の如き陽を浴ぶ

コンクリートの塀にガラスの破片を植ゑ親しみがたきさまに人棲む

 

「老婆」「平手打」「塀にガラスの破片を植ゑ」という言葉が示すように、情に流れず、とにかく見据えるのである。読んでいると、「あなた、これを見るのよ」と言われているような押しに圧倒される。とはいっても、露悪的ではない。作者が、真実を求めているからだろう。女性がこれだけ鮮明な言葉を持ち得たことに、わたしはとても感動する。

 

掲出の一首は、みずからの強靱な意志ゆえに撥ねのけてきた他人の「あたたかき心」があったのではないかと、振り返っている。気付かない、あるいは気付こうとしなかったのは、長い闘病生活や旧家に生まれた矜持などが考えられるが、こうした内省を含んでいるゆえに、皮肉や素っ気なさが光る。【見も知らぬよその赤子ににつこりと笑みかけられしことの身に沁む】という歌もある。「身に沁む」に実感がこもる。