柿の実のびつしりとつく木の下に落葉みづみづし厚く積もりて

秋葉四郎『樹氷まで』(2017年・短歌研究社)

 

柿を食べると秋だと思う。果物屋の店頭に柿が並ぶころは、農家の庭の柿の木に、柿の実が日毎に色を深めてゆく。採るあてのない渋柿なのか、一家で食べきれないのか、木の上に残る熟れた実を鳥が啄む様も、本格的な寒さがやってくる前の静かな秋の風景である。自然の生み出す朱の色が、紅葉とともにひときわ美しい。

 

この歌が注目するのは、色彩の美しさではなく、木の下の落葉が内包する時間。「びつしりと」という重厚感あふれる実りをもたらした時間に目を向けているのである。柿の葉の紅葉も多彩な色が混じって美しいのだが、「みづみづし」「厚く積もりて」という角度から見るのである。木が宿す生命の息づきに着目するところに作者の独自性がある。「厚く」は、落葉の量だけではなく、生きる時間の厚みでもあるだろう。

 

作者は現在、上山の斎藤茂吉記念館館長である。館長としての折々を【貫きて来るものつらぬき行くのみぞとにかく「歩道」を支へて生くる】【羯南が居て子規がゐて源流となりたる短歌貴ぶわれは】と歌う。茂吉・佐太郎とつないできた「アララギ」の精神風土をまもろうという強靱な意志の持続がある。このように、一つの信条を貫いてきた時間が、掲出歌の「厚く積もりて」という表現をもたらすのだと思う。

 

十六夜いざよひの月中空なかぞらに光りつつ雪ふりをれば人をしのばす

雪雲ゆきぐもの中より白の濃き樹氷あはき樹氷の現れて見ゆ

佐太郎の生年しやうねん越えていよいよに独りとぼとぼと遠き道行く

 

みずから系譜を受け継ぐものと自認し、まっすぐに歌い続ける姿勢に加えて、歌われている自然の大きさに思わず頭を垂れたくなる。